保助看ページ 137号

助産師

むらやま てるこ

村山輝子さん

公益財団法人東京都助産師会館
母子保健研修センター助産師学校 学校長
(元JR東京総合病院 看護部長)

Profile
1976年日本国有鉄道中央鉄道病院(現JR東京総合病院)に入職し42年間勤める。この間結婚や出産、東京と岡山間の転勤も経験し35歳で助産師学校へ進む。その後、看護管理者として 経験を積み2011年看護部長に就任。2019年より現職。山歩きが唯一の趣味。

実習に臨む前の学生達と一緒に
趣味の山登りの仲間と

助産師学校の校長として、管理・マネジメントをしています。 「助産師=お産の介助」と思って志しましたが、いざ学んでみると、この仕事の奥深さに感激しました。 助産師に限らず、仕事は続けることが大事だと感じます。 助産師としての誇りや責任感も、続けることで培われていくのだと思います。 人間関係も同じです。 皆さんも、上司や同僚、患者さんとのコミュニケーションに悩むことがあるかもしれません。 でも、上手じゃなくていいんです。 技術ではなく、ただ向き合い、話を聞くこと。 今はダメでも、ある日突然わかり合えることもあります。 人との深い関わりを、簡単に諦めて欲しくないですね。

「人と深く関わること」を簡単に諦めないで欲しい

携わっている助産師のお仕事について教えてください

助産師学校で校長をしています。「助産学概論」や「助産管理」などの授業を担当していますが、主な仕事は学校全体の管理・マネージメントです。
助産師学校の最も大事な役割は「分娩介助技術」を伝えていくことですが、それだけでは助産師の育成はできません。母子を取り巻く環境は、社会の変化が大きく影響するので、助産師には広い視野と知識も求められます。特に、妊産婦さんと深くかかわることになるため、コミュニケーション力が試され、中には、やる気や自信を無くしてしまっている学生や、勉強についていけなくなる学生もおります。そのサポートは、担当の教員が行いますが、場合によっては、実習先との連携や調整、学生同士や、学生と教員とのトラブルなどに学校長が対応することもあります。ただ、最終的には皆、「助産師の顔」になって卒業を迎えますので、学生たちの学び取る力にはいつも感動させられますね。

トラブル対応というのは?

トラブル対応は意外にありますね。命の現場で、人と人が真剣に向き合っていれば、衝突することもあると思います。ベテラン助産師と学生とでは、同じ物事を見ていても見え方は全く異なるでしょうし。話をきちんと聞いていくと、どちらの言い分も分かるんですよね。
時には、適性というか、「助産師をやらない方が幸せなのかもしれない」と感じる学生もいます。でも、将来の可能性を信じて、例え迷うことがあったとしても、学校長としてしっかり向き合い、助産師として育てることを目指します。

これまでの看護師・助産師としてのあゆみを教えてください

看護学校の3年目には、すでに「助産師になりたい!」と思っていました。
「助産師の資格を取る!」と思いながらも、看護師として最初に配属されたターミナルケアの仕事にも大きなやりがいを感じていたことや、その後、結婚や出産などでバタバタしていたことなどもあり、実際に助産師学校に入学した時は、看護師13年目になっていました。

当時は今のように情報がたくさんあったわけではなく、助産師イコール「お産の介助」くらいにしか思っていませんでしたが、実際に学び、助産師として働いてみると、その奥深さに感激してしまいました。
助産師として働き出した当時、その病院は、「産科」と「女性病棟(主にがんのターミナルケア)」が同じフロアにありました。一見まったく別領域に感じますが、個人的には、命の始まりから終わりまで、きちんと見つめながら仕事ができたのはとてもよかったと思っています。

これまでの助産師業務の中で、印象に残るエピソードなど、ありましたら教えてください

産科とターミナルケアが同じフロアにあったとお伝えしましたが、そこでの出来事です。
60代で卵巣がんのAさんという方がターミナルケアで入院していました。ある時ふと、Aさんの娘さんが妊娠中だと聞いたんです。といっても、近くにいたわけではなく、片道2〜3時間はかかる他県にお住まいとのことでした。
その娘さんがお見舞いにいらした時、思い切って「この病院で産みませんか?」と声をかけてみたんです。もちろん、すぐにはお返事いただけませんでしたが、その後、ご主人の理解もあり、こちらで出産することになった時は本当に嬉しかったです。
各部署に掛け合って、Aさんは娘さんと同室に入院していただき、出産にも立ち会ってもらえました。産後は、4人部屋にAさんと娘さんと生まれたばかりのお孫さんと3人、水入らずで過ごしていただきました。その時に、Aさんと娘さんがとても喜んでくれたこと、Aさんの表情が本当に穏やかだったこと、私自身もかけがえのない経験をさせていただいたこと……今でも印象に残るエピソードです。

助産師を目指す方たちへ、メッセージをお願いします

働きながら助産師を目指すのは大変そう…と、感じている若い看護師さんもいらっしゃるかもしれません。でも、助産師に興味があるのなら条件が全て揃ってから、ではなく、見切り発車で良いと思います。やりたい!という時にチャレンジするのがベストタイミングです。若い時の方が体力もありますしね!

では、若い助産師たちにもメッセージをお願いします。

どんな時も、助産師を続けてほしいです。
妊娠や出産についての知識や情報は、日々アップデートされています。その全てを把握するのは難しいかもしれませんが、現場に身を置くことで、入ってくる情報の量も質も、格段に変わります。
さらに、助産師としての誇りや自信、責任感なども、「助産師になったから身に付く」というわけではありません。続けることで培われ、磨かれていくのだと思います。

ライフスタイルや環境の変化で、働くことが難しい時期もあるかもしれません。
でも、感覚的に、気持ちだけでも続けて欲しいですね。働かなくても、「助産師」であり続けて欲しいです。「元助産師」ではなく。

助産師の離職率も高いようですね。

そうですね。私自身も、結果的には一度も仕事を辞めたことはないのですが、実は「もうダメかな……」と思った時期もあったんです。主人の転勤で、知り合いの誰もいない岡山県に住むことになった時、どう頑張っても抱えきれなくなり、「退職」の2文字がチラつき始めました。
その時、踏みとどまらせてくれたのは「このフィールドにい続けたい」という思いでした。周りにいる先輩方が、本当に素晴らしい方達ばかりで、別れたくなかったんです。もちろん、退職したからといって縁が切れるわけではないのですが、「働く仲間」として一緒にいたかったんです。

そこから、たくさんの人に助けてもらって、ここまで続けてこられました。子どもたちの通っていた保育園の園長が、夫を呼び出してちょっとしたお説教をしてくれたり(笑)、友人が「妹が保育士だから、村山さんのお子さん、夜勤の時に預かってくれるように頼んでおいたよ!」と手を差し伸べてくれたり……今思い出しても感謝でいっぱいです。周りのみんなに支えられて、今の私があります。

プロフェッショナルとして、伝えたい思いは?

助産師業界に限ったことではありませんが、ここ3年は、授業も実習も、コロナ禍で大変でした。
やっと元の状態に戻りつつありますが、やっぱり、対面は嬉しいですね。助産師としても、指導者としても、「密」が一番です(笑)!

皆さんの中には、職場の上司や同僚との関係や、患者さんとのコミュニケーションに悩まれる方も多いと思います。でも、上手じゃなくていいんです。テクニックではなく、ただ向き合うこと、真っ直ぐな気持ちで話を聞くこと……コミュニケーションもやっぱり「続けること」が大事ですね。今はダメでも、何かの拍子にふっと分かり合える瞬間が来ることもありますし。人との深い関わりを、簡単に諦めて欲しくないと思いますね。