Profile:
新卒で虎の門病院に入職し、37年目を迎えます。看護師・助産師として複数部署を異動し経験してきたことが、今の自分の強みとなっていると実感しています。子育てや親の介護をしながら、公私ともに様々な役割や責任を担うことで大変な時期もありましたが、丈夫な体とピンチをチャンスに変えるポジティブ思考でセルフコントロール力を培ってきました。今となってはこれまで支えてくれた家族や同僚たちに感謝しかありません。これからも看護師・助産師の資格を生かし、自分らしく長く仕事を続けていきたいです。
Profile:
1999年に新卒で虎の門病院に入職、26年目を迎えます。2020年のCOVID-19の流行と同時に部署担当看護次長に。コロナ禍には、院内のCOVID-19対応や沖縄県看護師派遣などのマネジメントを経験させてもらいました。現在は、災害拠点病院の危機管理室メンバーとしてDMATや災害支援ナース派遣の調整担当をしています。
自立心の高い支援ナースたち。学びの多い4日間
現地で行ってきた支援についてお聞かせください。
上野:私が担当したのは、金沢市のスポーツセンターでした。2月14〜17日の3泊4日で現地入りしたので、震災から1か月半くらい過ぎた時期でした。当院からは震災直後にDMATも派遣され、私が行くまでにも何人か支援ナースが派遣されていました。ですから、「現地避難所の様子やどんな支援が求められているのか」は聞いていたので何となくイメージはついていました。そういう意味では、現地に入るまでの不安はあまり感じていませんでした。
現地に到着してからすぐに役割分担をしたのですが、私は避難所であるスポーツセンターのアリーナリーダーに立候補しました。通常時も師長として管理業務をしていますから、実働スタッフとして活動するよりも管理的な役割を担うほうが、自分の経験や能力を発揮できると考えたからです。派遣前にも「リーダー的な役割が求められている」という趣旨の助言をいただいていたので、迷いはなかったですね。
業務内容としては、22名のナースチームをまとめる立場として、他部署や統括ナースとの連携、毎日の報告業務などが主な役割でした。
ナースは2交代制で、8時30分〜17時の日勤10名と、16時〜翌日9時までの夜勤6名の24時間態勢でした。看護師が担当する対象者は30名くらいだったので、病棟勤務時のスタッフ数を考えると、人数的には恵まれていたと思います。
ただ、「チーム」といっても全員が被災地支援は初めて。全国各地から集まってきた支援ナースと即興でチーム編成をして業務にあたったため、コミュニケーションがとれていない状態からのスタートでした。チームをまとめるため最初に意識したのは、「困っていることを口に出し合えるチームにすること」。そうすることで、お互いに支え合えるチームになれると思ったからです。
自分から声をかけることはもちろんですが、発言の少ないスタッフにはできる限り歩み寄ってコミュニケーションをとるよう心がけていました。
スタッフをまとめるうえで困ったことはありましたか。
上野:支援ナースとして来られている方は皆「自立心が高い」人ばかりでした。「はじめまして」で出会ってチーム編成をして、シフトが発表されると、それぞれが自分のやるべきことを理解して動いていました。
さまざまな役割があるなかで、自分に与えられた役割のために必要な物やこと、どう動くのがよいか、何をどんな順でするのかをすぐに理解して行動できるスタッフばかりだったので、本当にすごいと思っていました。そのため、まとめるのに苦労したことは特にありませんでした。
助産師としてはどのような支援をされましたか?
上野:私が派遣された期間は、妊婦さんなどはすでに別の避難所などに移られたあとだったので、「助産業務」の支援はありませんでした。でも、避難所や物資倉庫を見るときも、自然と「おむつやミルクなどが確保されている」のを確認したり、「もしも母子を受け入れることになったらどうサポートするのか」という視点で見ていたことに気づきました。
「助産師」として支援する機会はありませんでしたが、いつでも助産師としての支援ができる状態ではありましたね。
そもそも、助産師としての仕事も看護の一部ですし、普段、病棟で仕事をしているときも基本的な看護業務があってこその助産業務だと捉えているので、助産師の仕事がなくても抵抗はありませんでした。
現地での生活はいかがでしたか。
上野:支援先のスポーツセンターは駅から近い場所にあり、安全な水も電気も確保できていました。スタッフの宿泊施設からは送迎バスが出ていたので移動も困らなかったですし、食事や休む部屋もしっかりと確保されていました。
しかも、送迎バスのスケジュール上、超過勤務をすればバスの出発が遅れてほかのスタッフに迷惑をかけることになりますから、勤務時間もきっちり決められていました。
特に不自由さを感じることはなく、災害支援という特別な環境下でも体力や精神的な負担なく勤務できたように思います。
ただ、どの避難所も同じではなかったようです。私は経験しませんでしたが、被害の大きかった地域に派遣されたスタッフは大変だったようです。支援地域は自分で選べるわけではないので、時期や地域が違えば経験することも違ってくると思います。
災害拠点病院としての役割。災害支援ナースが育つ環境
災害拠点病院として、災害支援ナースを積極的に派遣しているのでしょうか。
犬童:現在、当院の災害支援ナースは24名いますが、派遣はあくまでも本人の希望によります。もちろん、災害拠点病院のスタッフとしての研修を受けているスタッフのなかから選出することになるのですが、実際、「現地派遣」となると、そのときの病棟や本人の状況、被災地が求めるスキルやタイミングも考慮しなければなりません。
そのなかで、今回上野さんを派遣したのは、被災から少し時間が経った段階で求められている管理業務に合致した、という状況だったからです。
ただし、実際にスタッフを現地派遣する場合は、残される部署のサポート体制を整えておく必要があります。今回のように師長が不在の間、中心となって代行業務を行うのは主任ですが、他部署の師長がサポートに入る体制もできており、私もフォローに入ります。
患者さんに影響しないことが最も重要なので、災害派遣は病院の体制が整っていないと難しい気がしています。
当院は、DMATや災害支援ナースなどさまざまな職種を派遣しています。そのため、日常的に「災害支援」に触れる機会も多く、「災害支援ナースの研修に参加したい」という積極的な声があるのも事実です。災害看護を実践してきたスタッフと一緒に働く環境があるので、自然と興味を抱くのだと思います。
災害支援ナースの研修はどんな場面で役立ちましたか?
上野:私が研修を受けたのは数年前ですが、派遣が決まってからは当時の資料を見直しました。「災害支援とは」や、「現地ではどのようなことが求められるのか」といった内容が役立ちました。研修で配布されたポケットマニュアルは現場でも持ち歩いていました。
連携を強固に。他部署と協調してよりよい災害支援を
現地で感じた「改善すべき点」があれば教えて下さい。
上野:現地にはさまざまな職種の方が支援に来ていましたが、医療に限らずもっと連携がとれたらいいのに、と感じました。たとえば、褥瘡予防用の保湿剤が「ご自由にお使いください」と置かれていても、使い方がわからなければ有効活用できません。
医療現場で学んだ褥瘡予防の知識を、現地に来ている保健師さんに伝えたらとても感謝されたんです。支援が個別に動くのではなくて、もっと連携すればさらによい支援につながるなと感じました。
犬童:連携や協調がなければよりよい支援は難しいですよね。当院は震災後早い段階でDMATも派遣したのですが、派遣された人たちから、「地域のボランティア、自衛隊、消防との連携が難しかった」と聞きました。
次の災害支援へ。派遣のために病院ができること
スタッフを送り出すための準備や意識していたことをお聞かせください
犬童:災害派遣は、限られた期間で、「被災者のために自分に何ができるのか」を早く見極めて動けるスタッフを選定する必要があります。
また、派遣している間、病院の看護レベルが維持できなければいけませんし、派遣されるスタッフの精神状態や看護レベルも考えなくてはならず、そうしたさまざまな視点を考慮して送り出しました。
そして、派遣終了後は心理士の面談を入れました。ただ実際は、心理士面談も必要ないくらい元気に帰ってきてくれたのでホッとしましたが。
災害支援ナースに求められる「自己管理力」
これから災害支援ナースを目指す方に伝えたいこと
上野:被災地では、「その場での自分の役割を考え、実践できること」が大事だと思います。広い意味での看護技術が必要なので、「来てくれるなら誰でもいい」わけではないんだと感じました。臨機応変、柔軟な思考や対応などがあらゆる場面で求められます。
被災地で支援するのは「被災者」であり患者さんではありません。日常生活の指導がメインとなるので、病院で普段使っている知識以外も持たないといけません。そして、それを適切に伝えられるコミュニケーション力も必要です。
また、現地入りが決まってから、そして派遣中も自身の体調管理が求められるので、災害支援ナースを目指す方は、自己管理力を鍛えておくとよいと思います。
今回は助産師の資格を活かす場面はありませんでしたが、今後、被災地でそのような機会がある可能性もあります。助産師資格を有する職業人として、求められたときに役割を発揮できるよう、知識やスキルを常にアップデートし続けていきたいと思っています。