Profile:
大学を卒業したが就職氷河期で飲食店、マッサージチェア販売を経て金属加工の町工場で7年間働く。30歳で看護師を志し看護専門学校受験。3度目の正直で入学。看護師免許取得後、放送大学に入学し認定心理士の資格を取得。また現病棟の同僚に誘われて糖尿病療養指導士の資格を取得した。仕事のモットーは「仲良く楽しく」大変な仕事だからこそ笑顔が絶えない病棟づくりを心掛けている。
Profile:
新卒で看護師になり22年目。アウトドアが好きで、自然の中や田舎へ行くことを楽しみとしており、へき地支援にも興味があったため2012年の6月に東京北医療センターへ入職。2017年より主任となり、日々スタッフ指導や病棟運営に奮闘している。
卒業時から抱いていた「災害支援」に対する思い
災害支援に関する考えを聞かせてください。
橋田:放送大学で災害看護学を学んだり、東京都看護協会開催の災害支援ナース養成研修にも2回参加していて、もともと興味はありました。というのも、私自身が看護学校を卒業したのが2011年の3月で、ちょうど卒業式に参加している最中に東日本大震災が起こったんです。
就職先の病院に「自分でも何か力になれることはないか」と問い合わせをしたところ何もできることはないとのことでした。当時は入職もしていない状態だったので仕方なかったと思うのですが、看護の知識はあるのに現場に行けずに何の役にも立てないことに葛藤がありました。
看護師になってからも当時の思いはどこかにずっと残っていて、当院に転職したのも「へき地支援」や「災害拠点病院」であったことが理由でした。災害は起こらないに越したことはないないですが、「もしものときは自分も力になれたら」とずっと考えていました。
佐藤:私もへき地支援にも行ったことがあり、東日本大震災のときは医療職としてではなく、一般のボランティアとして参加していました。基本的には「何か」が起こったときには支援に行く、というスタンスは持っていました。
当院が「へき地支援」を行い「災害拠点病院」でもあるので、働いているスタッフもベースには同じ意識がある人が多いです。DMATなども活動していますし、看護師に限らず、医師やコメディカルなど、病院全体の災害支援への意識は高いと思います。
橋田さんは災害支援に適任だったのですね。
佐藤:私自身の経験から、支援に送り出す人材として適任なのは、「看護師」である以前に社会人としての基本的なスキルが必要だと思っていまいました。今回は災害現場への派遣でしたから、「時間を守る」「報告や連絡がしっかりできる」といった基礎の部分が確実に行える人選が重要だと考えていました。
加えて、看護的な判断ができること、現地で指示通りにケアができること、そして指示に対して「できるのかできないのかを的確に判断できる」ことも大事なので、それらを総合して橋田さんを推した、という感じです。
ただ、それ以前の大前提として、「災害支援をやりたい」という本人の意思がしっかりとしていたのが大きかったですね。
「待つ」支援も。本当の被災地を体験した4日間
被災地での支援について聞かせてください。
橋田:今回が初めての派遣でしたが、実際に見た現場で最初に感じたのは、道路状況が悪いことでした。
支援先に行く道中、カーナビにしたがって移動していたところ通行止めになっていました。迂回したところ、道路に大きな亀裂が入っていていたために、タイヤがハマって動けなくなってしまいました。ロードサービスを呼んでもこんな状況なのでなかなか到着せず、車が動かせる状態になるまでしばらくかかりました。
ただ、やっと移動できる状態になっても、結局支援先には行かなかったんです。
現地で活動したのは2月14〜17日の4日間でしたが、ちょうど医療支援の谷間の時期だったようで、予定していた開業医の支援は「必要ない」と言われてしまいました。
状況的に、「まだまだ開業できる状態ではない診療所」と、「開業できているけど人材や物資の支援は必要としていない診療所」ばかりで、行ってもやることがないと。ですから4日間の滞在で行ったのは、次の隊のために情報収集をしたり、スムーズに引き継げるよう情報処理を行ったりといった間接的な支援だけでした。
一緒に現地入りしたスタッフからも、「せっかく来たのに何もすることがないなんて」という不満の声も上がるほど、予想していた支援とはまったく違ったものになりました。そんなとき、現地コーディネーターの方がこう言ったんです。
「災害支援の現場は何が起こるかわからない。待つことも支援の1つだ」
本音を言えばもどかしさはありましたが、振り返ってみると、その言葉をかけてもらえたことが、今回の派遣で一番の収穫だったと感じています。
モチベーションに影響しませんでしたか。
橋田:役に立ちたいと思って行ったので、「何かできることはないか」とはずっと思っていました。同じく派遣で来ていた看護スタッフと、「せっかく来たのにやることがないなんて困っちゃうよね」という話もしましたが、被災地の状況に寄り添うのが支援なのだと考えると、「そういうこともあるよね」と、割と落ち着いていられました。
災害支援に対する意識や想いは変わりましたか。
橋田:「待つことも支援」というのは、現地に行かなければわからなかったことです。行った側としては「何かしなければ」という意識は常に変わらず持っていますが、現地のニーズはその時々で刻一刻と変わっていきます。なので、そのときの状況がスタッフの思いと必ずしも合致するとは限りません。必要とされる支援をするためには「待ち」の時間も仕方のないことだ、ということを学びました。
今回は現地の方と直接関わる機会はなかったので、仕事に対する意識が大きく変わったわけではありません。ただ、観察やアセスメント、関わり方、言葉遣いなど、日々の仕事が大切だと思いました。普段から行えていないことを派遣先で急にできるわけがないですからね。
佐藤:今回は直接被災者の方と関わる機会はなかったのですが、そのときに自分がやれることとやれないことがあるという経験も学びの1つですよね。災害現場では直接的な支援だけでなく、バックヤードでは次のスタッフにつなげるなどの運用も必要になります。そのあたりの支援のあり方を体験してきたのは、今後のへき地支援にもつながるのではと思います。
災害拠点病院としての役割。「災害支援ナース」育成に取り組む
支援ナース派遣に向けた院内での取り組みについて教えていただけますか。
佐藤:当院は災害拠点病院でへき地支援も行っています。災害支援ナースだけでなく、DMATなどの医療チームの派遣要請にも対応している医療機関なため、入職の時点で災害支援に関心のある看護職員が毎年います。
そのため、以前は希望者に提供していた「災害支援ナース」の研修も、今後はどのスタッフも支援に行けるよう、災害支援をラダー教育に取り入れることも考えています。
へき地支援に対応できるレベルのスタッフを増やすことで、災害支援ナースの要請が来たときに多くのスタッフが対応できるようにしておくことが、当院の使命であり今後の課題だと思っています。
病棟スタッフも普段から「へき地支援」「DMAT」に触れる機会が多いので、今回も支援ナースの派遣による混乱はほとんどありませんでした。
今後災害支援ナースを目指す方にメッセージをお願いします。
橋田:災害支援の現場でも、求められる看護のベースは同じです。
普段からスタッフに伝えていることですが、やはり大事なのは、患者さんに対するアセスメントや関わり方などです。看護スキルとして基本的な部分だからこそ、しっかりと積み上げていってほしい部分でもあります。
また、現地ではそのときのニーズに合わせた支援が求められます。時には「待つ」支援が必要になるかも知れませんが、今後も、「被災者の方々に有意義な支援を提供する」という根本を見失わずに活動できたらと思っています。