新宿区役所総務部人材育JCHO 東京新宿メディカルセンター
総合案内
伊藤 久美子さん

看護師の活動1

患者さんの「ありがとう」がやりがい

──看護師を志したきっかけを教えてください。

看護師になったのは「将来は看護師を目指しなさい」と父に勧められたからです。でも、正直にいえば当初はまったく興味がありませんでした。
当時は、高校を卒業したら結婚する時代だったので、「これから看護学校に3年行ったら私はいつ結婚できるんだろう」と、そればかりが心配でした。それでも父は「看護師は夫が亡くなっても自立できる仕事」であり、「困った人の役に立てる素晴らしい仕事」だと言い続け、父が大好きだった私は、結局その言葉に背中を押されて看護学校を受験することにしました。父の勧めどおりに東京逓信病院の看護学校を受験したら、たまたま合格することができたんです。

卒業後は、これまた父の言う通りに鹿児島に戻り、50床ほどの小さな病院に勤めました。ただ、経験を積むうちにもっと大きな病院で勉強したいと思うようになり、東京厚生年金病院(現在のJCHO東京新宿メディカルセンター)に転職しました。

──看護師を続けるなかで大変だったことはありますか。

42歳のときに小児科病棟の主任になりましたが、夜勤、外来、主任業務、委員会活動と、とにかく忙しくて、退職願を提出しようと思うくらいつらい時期でした。もともと役職にはまったく興味がなく、主任や師長など目指していたわけじゃなかったんです。それよりも、目の前にいる患者さんやご家族と向き合うことに、自分らしさややりがいを感じていました。

夫の転勤とともに退職して2年間の専業主婦も経験しましたが、東京に戻ってすぐ当院に復職しました。つらかった経験があっても現場を離れなかったのは、やはり看護の仕事が好きだったからだと思います。

今日も誰かの力に。笑顔でつなぐ総合案内の仕事

──総合案内での具体的な役割を教えてください。

総合案内の業務は、初診・再診の患者さんの手続き案内、面会者の受付、クレームの対応、あとは認知症患者さんやご家族のための「オレンジステーション※」としての役割など多岐にわたります。当院を訪れる方にとって最初の印象が私たち総合案内なので、何でも屋さんのような役割も担いながら、病院に来た方が安心できるよう努めています。

実は、総合案内への異動を打診されたときはお断りしたんです。「総合案内=苦情処理係」と聞いていたので「あんなところ行きません」ってずっと言っていました。それでも看護部長は「あなたは親切だから、総合案内が合うと思う」と言ってくれたんです。何度も説得に来られた看護部長に折れる形で「3か月だけ」と答えたのですが、気がつけば20年が経っていました。

──「苦情処理の窓口」だった総合案内が天職になったんですね。

患者さんからの「ありがとう」「あなたがいてくれてよかった」の言葉が、本当にうれしくて「今日も働けてよかったな、楽しいな」って思うんです。苦情処理だと思っていた場所でしたが、いつの間にか「天職」と呼べる場所になりました。

総合案内には、本当に日々さまざまな依頼や困りごとが押し寄せます。
「歩くのが大変なので車椅子をもってきてほしい」
「ケガをして出血している、すぐに診てほしい」
「予約を忘れたが、とても忙しいので何とか診てほしい」
「待ち時間が長すぎる」
「外来での説明がよくわからなかったので、もう一度説明してほしい」
「診察券や保険証、紹介状を忘れたがどうすればよいか」
「持ち物がなくなったので探してほしい」

最近では、認知症の方のご家族から、「病院内で姿が見えなくなったので探してほしい」という依頼も増え、患者さんを探し回ることも多くなりました。

総合案内の仕事は患者さんありきですので、さまざまな年代や背景に関係なく、どんな方にも丁寧で親切に接することを心がけています。時にはどうしても自分の思うように仕事が進まなかったり、予想外に忙しくなったりすることもあり、「辞めようかな」と思ったこともありましたが、仲間の励ましや、患者さんの笑顔や「ありがとう」の言葉に励まされてここまで続けてこられました。

──忘れられないエピソードがあるそうですね。

ある日、長く通院している患者さんが、「この病院の先生や看護師さんには大変お世話になっているから、感謝のしるしとして何か送りたい」とおっしゃってくれました。ちょうどそのとき、私は車椅子を磨いていたのですが、「あなたの磨いている車椅子はかなり古ぼけているようなので、車椅子を寄付するのはどうか」と言ってくださったんです。

すぐに看護部長に相談し、院長先生を中心に患者さんのご意思を確認させていただき、車椅子50台などをご寄付いただくことになりました。日頃、総合案内として接していた患者さんから、思いがけない言葉と感謝のお気持ちをいただきとても感激しました。この仕事をやってきて本当によかったと感じましたね。生涯忘れられない出来事です。

※認知症や病院に不案内な方がいつでも気軽に立ち寄っていただける場所

94歳の看護師を目標に──心と身体が動く限り

──自分らしく働き続けられる秘訣は何でしょうか。

家族の協力は大きな力です。定年退職した夫が食事の準備をしてくれるので、私は家では洗濯などをするだけです。仕事に集中できる環境があることで、元気に長く働けているんだと思います。

もう一つ大きな支えは仲間の存在ですね。私と同じように長く働いているスタッフや同世代の同僚とは気兼ねなく本音を言い合える関係なんです。弱音を吐いたときには、「今まで頑張ってきたんだから」と励ましてもらったこともあります。お互いに「頑張ろうね」と言い合いながら、年齢を重ねても現場で働き続ける仲間の姿はとても大きな刺激です。

──これからの目標を教えて下さい。

どこかで見かけた94歳で現役の看護師さんが目標です。「まだまだ頑張らなくちゃ」と思いますね。
日々の業務のなかでも「そんなお年だったの? 負けていられないから私も頑張らないと」と言われることがあります。うれしさとともに、患者さんから勇気をいただくことに感謝して、身体と心が続く限り看護に関わっていきたいと思っています。

あとは、パソコンとAIに挑戦したいですね。当院で電子カルテを導入したときに、「総合案内にはカルテがないからパソコンは要らない」と断ってしまい、今となっては後悔しています。学びに年齢は関係ないですし、何歳になっても新しいことを学びたいですね。

看護師の活動2

志を高く、でも自分らしさは手放さないで

──次世代の看護職に伝えたいメッセージをお願いします。

最近は転職ブームで短期間で職場を変える方もたくさんいますが、できることなら4〜5年は同じ職場でしっかりスキルを磨いてほしいなと思います。今の若い世代の看護師さんたちは幼い頃から多様な情報に触れて育っているので、知識も能力も高い。だからこそ志を高くもって、ぜひキャリアアップを目指してほしいです。看護の仕事は人の命に直結し感謝される大切な仕事です。若いうちは大変ですが、諦めず続けてほしいですね。

もちろんライフステージが変わることもあり、仕事と家庭との両立が難しい時期もありますよね。家のことが気になって「もう辞めようかな」と思ってしまうこともあるでしょう。私自身も若い頃は家事と仕事を担ってきたので大変でしたが、現在は、夫が車で送ってくれたり、家事を引き受けてくれたりといろいろな面で助けてくれています。だから今大変な思いをしている人にも、いつか「あのとき頑張ってよかった」と思える日がきっとくると伝えたいですね。

また看護師の仕事は、日々社会に貢献できていると実感できるため、やりがいや生きがいにもなります。「ありがとう」と言っていただけると、長年看護師を続けてきて本当によかったと、気分が爽快になって元気が出ます。

何か特別なことをする必要はないんです。目の前の人を大切にすること、仲間や家族の支えを素直に受け取ること、時には立ち止まり「自分はどんな看護が好きだったか」を思い出してみること。そんな小さな積み重ねの先に、きっとそれぞれの「自分らしい看護の道」が続いているんだと思います。

看護師の活動3

最後に一言

毎年開催される神楽坂祭りや阿波踊り大会には、地域の医療機関として、JCHO東京新宿メディカルセンターから院長をはじめ多くの職員が参加し、地元の皆さまと一体となって活動しています。こうした日頃からのつながりもあり、コロナ禍には、町内会をはじめとする皆さまから多くのマスクや温かいご寄付をお寄せいただきました。
今後も、地域の皆さまに信頼され、身近でお役に立ち続ける卓越した病院であり続けたいと考えています。