~「生涯看護師」として社会に貢献したい~
新宿区役所総務部人材育成等担当課
健康相談室
神楽岡 澄さん
──現在の勤務形態や業務内容を教えてください。
私は現在、労働安全衛生法に基づく労働者の安全衛生対策の推進に係る業務に携わっています。
具体的な業務は、職員の健康管理や健康相談で、健康診断や長時間労働、ストレスチェックの結果に基づく健康相談やメンタルヘルス対策、病気や障害をもつ職員が仕事と両立しながら働き続けられるよう支援する両立支援、病気で休職している職員の復職支援などを産業医や安全衛生係のスタッフと共に行っています。日々の職員の体調不良や傷病の応急手当などにも対応しています。
また、職場巡視や安全衛生委員会を通して、職場の環境や安全衛生に関する課題を検討し、改善策を策定するなど職員の健康に係る対策全般を行っています。
──ご経歴を教えてください。
看護師・保健師免許取得後、最初の5年間は大学病院の病棟看護師として経験を積みました。看護学生の頃から公衆衛生看護への関心がありましたが、まずは病棟で人の生死に向き合い、地域で働く保健師として必要な視点や技術を身につけたいと考えました。
その後、初志を貫徹し、27歳の時に東京都特別区の採用試験を経て新宿区の保健師になりました。新宿区の保健所や保健センターでは、個別の支援として、乳幼児健診や生活習慣病予防健診、精神障害者のデイケア、難病患者のリハビリ教室や家族会、家庭訪問などを通して、ライフステージ全体の支援を行い、地域住民・自治会・NPOなどの団体と協働するなどして、地域の課題を施策に反映させたり、感染症対策、災害時支援などの計画策定や制度改善などを行ったりしてきました。退職後、2018年に現在の職場に異動し、保健師として勤務しています。
──なぜ、今も現場に立ち続けているのでしょうか?
保健師の仕事に大きなやりがいと意義を感じているからです。また、仕事を通じて自分自身が成長し、そのことが生活の充実にもつながっていると思います。
特に、地域での生活に問題を抱える住民への支援は、その人の生き方に寄り添う支援であり、相手の人生を共に歩む仕事だと思っています。精神的に厳しさを感じることもありますが、どのような状態であっても「そこからがスタート」という気持ちで、前向きにその人の生き方を一緒に考えていきます。その過程で、私自身も成長していると実感します。
熱心に取り組めば取り組むほど奥深く、やりがいのある仕事です。「看護の仕事が自分に合っているのでしょうか」何より、「ワクワクする気持ち」が、現場に立ち続けるための原動力になっています。
──保健師の仕事にやりがいを感じた出来事を教えてください。
私は、平成8年4月に新宿保健所へ異動し、結核担当を拝命したことを契機に、保健所における結核対策に本格的に取り組むようになりました。当時、新宿区の結核罹患率は国内で最も高い水準にあり、患者の4割を路上生活者や外国人が占めていました。
さまざまな疫学調査の結果、サウナ・漫画喫茶などに長期滞在する住所不定者、いわゆる「経済的弱者」と呼ばれる方々が、罹患しても医療機関を受診できず、症状が重篤化したあとに発見されるケースが多く、結果として感染拡大を招いている実態が明らかとなりました。
また、外国人についても、結核高慢延国からの流入が多く、言語や経済的な問題などにより受診が遅れ、病状の悪化や感染拡大を引き起こす大きな要因であることがわかりました。
そこで、感染の連鎖を断ち切るためには経済的弱者への支援事業が必須だと考え、感染者データの収集や政策提言を行いました。その結果、予算化され、国や都の補助金を獲得することができました。その事業によって、路上生活者や住所不定者、日本語学校の重点的な結核健診で早期発見を進め、福祉事務所と連携して生活保護が受けられるように手配し、入院から、DOTS(直接服薬確認療法)が安心して受けられる環境を整備したのです。さらに、退院後も外来や訪問によるDOTSを継続し、治療が完遂するまでの体制を築きました。
こうした取り組みによって新宿区の結核罹患率が低下したときは、「保健師としてこの対策に熱心に取り組んでよかった」と心から感じました。日々の生活に精一杯だった経済的弱者の方々は、事業によって治療が受けられ衣食住が安定したことで、気持ちにもゆとりが生まれ、自分の将来を考えるようになりました。そこで、福祉と連携して再び路上に戻ることがないように、治療期間中に職業訓練校に通っていただいたり、資格を取っていただいたりして社会復帰訓練を同時に行う仕組みも作りました。
「住所不定だったからずっと田舎に連絡できていなかったけど、やっと帰れたよ」なんて話を聞いたときは、うれしかったですね。
これらの実績については、内外に広く発信し、全国における結核罹患率の低減につながる一助となることを願い、各種学会での報告や学術論文の掲載を行ってきました。
こうした活動が評価され、2003年3月には、(財)結核予防会より「秩父宮妃記念結核予防会保健看護功労賞」を受賞し、秋篠宮妃殿下より表彰状を賜りました。
また、WHOやJICAを通じて来日した研修生に対し、日本の結核対策について講義する機会を数多くいただき、その内容を国際的にも配信してきました。さらに、2016年10月には、グローバルファンド事務局長が新宿区保健所を訪問され、結核健診や保健所の取り組みを視察された際、新宿区における結核対策について説明する機会を得ました。
その後、事務局長が、高齢者、外国人、ホームレスなど多様な課題を抱え、日本で最も高い結核罹患率を有しながらも、保健・医療・福祉が連携し、地域や市民社会と協働して、対象者ごとにきめ細かな対策を講じている点について、「世界の結核対策のモデルであり、世界は日本から多くを学ぶ必要がある」と評価されたことを知り、深い誇りを感じました。
──長く保健所勤務をされてきて、現在の職場に配属されたときに戸惑うことはありませんでしたか?
最初に現在の職場への異動を打診されたときは、「自分に務まるだろうか」と思いました。しかし、私は仕事に挑戦する前に諦めるのではなく、「置かれた場所で咲く」の精神でまずは取り組んでみる信条なので、お引き受けすることにしました。
実際に働いてみると、保健所で地域住民を対象としていたときも、区の職員を対象にしている現在も、「人の健康を支援する」という保健師の本質は変わりません。保健師の役割は、対象とする全体から健康課題を見つけ出すこと、疾病や障害などの健康課題をもつ個人に確実に対応すること、そして人々が健康を享受できる仕組みをつくること、だからです。
現在の職場へ相談に来る職員は、悩みや体調不良があり、仕事を続けられるか不安に感じている職員だったりします。そうした職員を支援し、長く休職していた方が元気に復職したり、昇進したりする姿を目にすることがあります。そんなときに、「あのとき、諦めずに続けてよかったね」と思うとともに、そのような職員の頑張りをみることで仕事へのやりがいを感じますね。
──仕事を諦めそうになったときの乗り越え方を教えてください。
結婚・出産・育児などのライフイベントと仕事を両立するなかで、諦めそうになったときは常に初心に返るようにしています。
高校3年生で進路を決める際、「一生涯続けられる仕事をしたい」という思いから看護の道へ進みました。看護は特別な道具がなくても、知識や技術と自身の健康さえあれば、家庭や世界のどこにいても人に必要とされる職業だと考えたのです。
例えば、子どもが病気のときに母親がただ手を添えるだけで、すごくほっとしますよね。特別な道具がなくても、病んでいる人に自分ができることをしたいという気持ちは伝わりますし、それを仕事として実現できるのが看護だと感じていました。
そのなかでも公衆衛生看護を目指すことになったきっかけは、看護学生時代の小児科病棟実習でした。病棟には、「予防できていればこんな病気にならずに済んだのに」と感じる子どももいて、予防に関する知識の普及や啓発がいかに大切かに気づいたのです。
諦めそうになるたびに看護を志したときの気持ちに立ち返り、それを力にして仕事を続けてきました。
──どのような方法で、家事や育児との両立をされてきましたか。
夫が単身赴任でワンオペ育児の期間が長かったため、自分を追い詰めないように「人にお願いできることは頼む」というスタンスで乗り切りました。子育てにおける私の役割は、子どもが安心して生活したり、学校に通ったりできるように支えることで、この点だけは守れるように努めていました。
例えば、子ども2人の保育園が別々で時間がない上に雨が降っている状況では、お迎えに行くだけで疲弊し、仕事が辛いと感じてしまうことがあるでしょう。そういう時は、迷わずタクシーを利用していました。当時は、いつもタクシー券を財布に入れていましたね。タクシーに乗ればお金はかかりますが、それは一時的なものだから、今こそ使うべきだと考えていたのです。
また、仕事に対する気持ちを家族に理解してもらうことも大切です。子どもが高校生の時に「仕事好きな母親をもつと、子どもは苦労するよね」と言われたことがあります。そのとき私は、「ごめんなさい」とは言いませんでした。子どもには、「お母さんは仕事が大好きなの。あなたたちが健康でいてくれるから仕事が続けられるのよ、ありがとう」とポジティブに伝えていました。
──今後も、看護の仕事は続けていきたいとお考えですか?
来年で70歳を迎えますので、そこまでは現在の職場の役割を全うしたいと考えています。その後も自身の体力や環境に合わせながら、これまでの経験や技術を活かして何らかの形で看護の仕事には関わっていきたいです。先ほども申し上げたように、「置かれたところで咲く」が信条なので、次に何の仕事をするかは決めていません。私を必要としてくれる場所があれば、そこで誇りをもって働き続け、「生涯看護職」として社会と人々のために貢献していきたいです。
──最後に、読者の看護職へのメッセージをお願いします。
看護の価値は、まるで家族のように寄り添い、人々の健康を改善し生きる力を引き出すことです。看護職がいるだけで周囲が明るくなり、安心感をもたらすのが看護の力です。
働いていると、仕事や人間関係、ライフイベントによる悩みなどで、諦めたくなる瞬間があると思います。仕事から一時的に離れることもあるかもしれません。そんなときは、看護の仕事がいかに価値あるものかを思い出して、誇りをもってほしいです。そして、その時々の状況に合わせて、ご自身のペースで働き続けてほしいというのが私の願いです。